誕生寺

誕生寺


誕生寺 祖師堂
小湊山 誕生寺(日蓮宗)

創建:建治二年(一二七六年)   開基:日蓮聖人  開山:日家上人
由緒 当山はそのはじめ文永元年聖人自ら母梅菊女の病気平癒を記念して建てられた荘厳道場堂に
濫觴し、建治二年直弟日家上人これを聖人生家の地に移して高光山日蓮誕生寺と呼ばれたことに始る。
その後明応七年の大地震海嘯の厄に遭って陥没、妙の浦の丘辺に移したが元禄十六年再度地震海嘯
の天災をうけ現在の地に移った。
当山二十六代日孝上人水戸家の帰依をうけ七堂伽藍を整えられたが宝暦年間大火あり二王門を残し
悉くが焼失した。雨落ち十八間四面総欅造りの祖師堂は天保三年(一八三二)より十年間の年月をかけ
て完成し、内陣中央に日蓮聖人像が安置されている。
古くは国守里見安房守、その臣正木太夫、水戸光圀、加藤清正等の帰依篤く、ご朱印七十石、格式
十万石、緋綱代乗輿独札寺格の待遇をうけ、また相馬大作、太田資康等の隠棲が綴る多彩な歴史を
蔵し、明治に入り有栖川家の御廟所も建てられている。
堂塔二十有余、境内二万坪。現に日蓮宗大本山である。
=誕生寺看板より引用=


千葉県重要指定文化財 【誕生寺仁王門】 一棟 (平成九年三月二十一日指定)

誕生寺の七堂伽藍は、江戸中期の宝暦八(一七五八)年の大火によって仁王門を除く他の建物は全て
焼失してしまいました。焼失をまぬがれた現在の仁王門は、江戸前期の宝永三(一七〇六)年二十六世
大中院日孝上人の代に水戸徳川家の助力を得て建立されたと伝えられるものです。江戸中期の寛政三
(一七九一)年の銘を持つ「誕生寺絵図」中に見られる仁王門が相当すると考えられます。
間口約十四.八メートル、奥行き約五.八メートルの五間三戸瓦葺重層門は、県内では最大規模のもの
です。軸部は白木造り(ケヤキ)、組物は下層では和様三手先、上層では唐様三手先、中庸はいずれも
本蟇股、装飾は虹梁の絵様及び蟇股と支輪に波・雲の彫刻が用いられています。
上層に見られる般若の彫刻は左甚五郎の作と伝えられ、正面左右の脇の間には上総の仏師松崎右京
大夫の作と伝えられる仁王像が安置してあります。
創建時の様子をとどめた絵様及び彫刻など、様式的にも、歴史的価値の高い貴重な建造物です。
=誕生寺看板より引用=

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