八幡岬
八幡岬より「丹ヶ浦」の眺め 名勝八幡岬は、その形が帽子や鳶に似ているので帽山または鳶崎とも
呼ばれている。
房総治乱記によると、戦国時代ここに小浜城があり、城主は槍田美濃守で
あった。天正十七年(1588)二月美濃守が相州三浦に軍をすすめて
北條氏と戦った時、その虚に乗じて、勝浦城主正木左近大夫は小浜城を
襲いこれを攻めとった。房州里見氏は援軍を送って小浜城の奪回を図った
が、攻め落とすことができなかった。無念に思っていた美濃守は天正
十七年三月、夜陰に乗じて激しく城を攻め、ついに奪還に成功した。
しかし、天正十八年、本多忠勝が大多喜城主になった頃、小浜城は本多氏
に攻略され、その姿を消した。

この八幡岬には、江戸時代より数多くの文人墨客が訪れた。儒者の
安積良斎、作家の江見水蔭、山本有三、歌人の佐々木信綱、矢代東村、
画家の黒田清輝、竹久夢二など多彩な文化人が、この地を舞台にすぐれた
作品を残している。
ことに明治末期から終戦直後までこの地にあった帆万千館は文化人に愛
され、若山牧水や鈴木信太郎などの諸家は好んでここに宿泊し景観を
めでながら、この地の自然や風物を活写し創作にふけった。

=八幡岬看板より引用=

ウィンドウを閉じる